下北沢 情報
世田谷区・下北沢の古い地図(明治時代と大正時代の地図)
下北沢(下北澤)や、世田谷・代田・若林・松原・太子堂などの地名は、比較的に古い年代の地図にも、その地名を多く確認できますが、むろん、近代(明治時代・大正時代)の地図においても地名を確認できます。当時の地図を参照しながら地名の変遷をまとめていますので紹介します。
「古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その1」
「古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その2」
「古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その3」
「古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その4」
下北沢の周辺の地名は、下北沢のほか、薩摩、下北沢西、新屋敷、下山谷、新屋敷という地名も定着していたことが判ります。
当時は、いまだ、「村」であり、世田谷村の大字や字として下北沢付近の地名が呼称されていたようです。したがって、世田谷村大字下北沢といった名称であったことが判ります。現在、下北沢という正式な地名は存在しませんが、過去には下北沢という地名があり、明治や大正の頃は、北沢何丁目という括りもなく、大字下北沢という地名が正式なものとして存在していたということです。
カフェ カルディノ オープン
5 年前
