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2011年12月18日日曜日

下北沢 賃貸 メゾネット 2DK バルコニー南向 東南角部屋 新築 物件情報

下北沢 賃貸 メゾネット

 2DK バルコニー南向 東南角部屋 新築 内見可能
 1-2階部分 テラスハウス エアコン2基 自転車駐輪可能
 全室フローリング 追い焚き・給湯 洗面脱衣場独立
 バス・トイレ別 ガス2口可 洗濯機置場室内・収納あり
 雨戸 玄関収納 各室に収納スペースあり 閑静な住宅街

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩4分
井の頭線・新代田駅 徒歩6分

 下北沢駅 徒歩10分

賃料 145,000円 ・管理費等 2,000円

  間取り 2DK 物件種類 賃貸メゾネット
   礼金 1ヶ月 敷金 2ヶ月
   面積 53.54m2 築年月 2011年12月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田4丁目
  方位 南
 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能時期

  間取り 2DK (DK9畳 洋室8.5畳 洋室7畳 ) 駐車場 無し
  建物構造 木造 建物階 / 所在階 2階建て / 1-2階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, テレビインターフォン, 駐輪場, シャンプードレッサー, BS

【備 考】 新築 東南角 メゾネット 各居室に収納 洗面台脱衣場独立間取 エアコン2基付帯 フローリング 追い焚き可給湯 区立羽根木公園至近 内見出来ます。

 上記の賃貸不動産物件情報は、「新築 下北沢 賃貸 テラスハウス メゾネット バルコニー南向 洗面脱衣独立 東南角部屋 三面採光」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年12月3日土曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 2階 オートロック バルコニー南向 礼金不要・礼金ゼロ・礼金なし

下北沢 賃貸 マンション

 1K 2階 オートロック タイル貼 バルコニー南向
 コンビニ至近 下北沢駅まで徒歩5分 駐輪場・自転車置場あり
 ガスキッチン 洗濯機置場室内 フローリング エアコン 給湯
 CATV・ケーブルテレビ対応 フレッツ光・インターネット対応
 クローゼット 玄関シューズ収納 南西角・二面採光
 陽当良好・眺望良好 礼金ゼロ・礼金なし・礼金不要

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩3分
井の頭線・新代田駅 徒歩6分

 下北沢駅 徒歩5分

賃料 78,000円 ・管理費等 2,000円

  間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
   礼金 0ヶ月 敷金 1ヶ月
   面積 20.10m2 築年月 2005年4月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田2丁目
  方位 南
 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即入居可能

  間取り 1K (洋室6畳 K2畳 ) 駐車場 無し
   建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 3階建て / 2階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
  設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋
  オートロック, 駐輪場, システムキッチン, CATV, BS, CS, インターネット
【 備 考 】
バス・トイレ別 ガスキッチン オートロック タイル貼 クローゼット 駐輪場 バルコニー南面 南西角 下北沢5分 ケーブルテレビ フレッツ光 コンビニ至近 礼金なし・礼金不要・礼金ゼロ

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 駅徒歩5分 2階・南向 礼金なし・礼金ゼロ・礼金不要」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年11月26日土曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 1階 オートロック タイル貼 バルコニー西向 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 1階 オートロック タイル貼
 スーパー・コンビニ至近 羽根木公園至近
 IHキッチン 洗濯機置場室内 フローリング エアコン
 CATV・ケーブルテレビ対応 フレッツ光
 浴室ホテルシングルサイズ(浴槽大) 閑静な住宅街
 給湯式 クローゼット 玄関シューズ収納 

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩3分
井の頭線・新代田駅 徒歩5分
下北沢駅 徒歩10分

賃料 65,000円 ・管理費等 2,000円

  間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
   礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
   面積 21.38m2 築年月 1993年2月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田4丁目
   方位 西
   契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即入居可能

  間取り 1K (洋室6畳 K2畳 ) 駐車場 無し
   建物構造 重量鉄骨 建物階 / 所在階 3階建て / 1階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
  相談事項 事務所使用相談
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, 駐輪場, システムキッチン, BS, インターネット

【備 考】
  1階 西向き 洗濯機室内 オートロック 外壁タイル貼 IHキッチン クローゼット 防犯カメラ BS・地上デジタル対応 駐輪は有料、バイク・原付は相談 スーパー・コンビニ・公園至近の閑静な住宅街

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 1階 西向 オートロック タイル貼 IHキッチン 洗濯機室内 エアコン 給湯」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年11月17日木曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 2階 オートロック タイル貼 バルコニー南向 不動産物件情報



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田4丁目
   方位 南
   契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即入居可能

  間取り 1K (洋室6畳 K2畳 ) 駐車場 無し
   建物構造 重量鉄骨 建物階 / 所在階 3階建て / 2階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
  相談事項 事務所使用相談
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, 駐輪場, システムキッチン, BS, インターネット

【備 考】
  2階 南向き 洗濯機室内 オートロック 外壁タイル貼 IHキッチン クローゼット 防犯カメラ BS・地上デジタル対応 駐輪は有料、バイク・原付は相談 スーパー・コンビニ・公園至近の閑静な住宅街

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 2階 南向 オートロック タイル貼 IHキッチン 洗濯機室内 エアコン 給湯」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年11月7日月曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 3階 オートロック デザイナーズ 白大理石調床 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 3階 オートロック デザイナーズ 白大理石調床材施工 お洒落な室内
 IHキッチン 洗濯機置場室内 CATV・ケーブルテレビ対応 フレッツ光
 外壁コンクリート打放 エレベーターあり スーパー・コンビニ至近

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩3分
井の頭線・新代田駅 徒歩4分
下北沢駅 徒歩8分

賃料 73,000円 ・管理費等 5,000円

  間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
   礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
   面積 21.60m2 築年月 1997年4月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田5丁目
  方位 西 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即入居可能

 間取り 1K (K3.3畳 洋室6畳 ) 駐車場 無し
  建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 4階建て / 3階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, エレベーター, システムキッチン, CATV, BS, CS, インターネット

【 備 考 】
 デザイナーズ 白大理石調床 IHコンロ 外壁コンクリート打放 エレベーター オートロック フレッツ光 ケーブルテレビ 地上デジタル クローゼット BS 管理良好 防音二重サッシ エアコン 給湯 下北沢駅迄徒歩8分

 上記の賃貸不動産物件情報は、「デザイナーズ 下北沢 賃貸 マンション 3階 オートロック 外壁コンクリート打放 内装白大理石調床材」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年11月6日日曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 2階 オートロック バス・トイレ別 デザイナーズ 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 2階 オートロック バス・トイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内
 外壁コンクリート打放 浴室換気乾燥機能付 CATV・ケーブルテレビ対応

【物件概要】

井の頭線・新代田駅 徒歩1分
小田急線・世田谷代田駅 徒歩5分
 下北沢駅 徒歩8分

賃料 73,000円 ・管理費等 2,000円

 間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
  礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 21.10m2 築年月 2000年2月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田5丁目
   方位 西
  契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即入居可能

  間取り 1K (洋室6.3畳 K1.5畳 ) 駐車場 無し
   建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 4階建て / 2階

 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, 浴室乾燥機, CATV, BS, CS, インターネット

【 備 考 】
  オートロック バストイレ別 ガス1口 洗濯機置場室内 2階 角部屋 エアコン フローリング 外壁コンクリート打放 浴室換気乾燥機能 ケーブルテレビ インターネット 地上デジタル 給湯 クローゼット フローリング

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 2階 オートロック バストイレ別 ガスコンロ 洗濯機室内 外壁コンクリート打放」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月31日月曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バス・トイレ別 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 4階 オートロック バス・トイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内
 外壁タイル貼 浴室換気乾燥機能付 CATV フレッツ光 地上デジタル

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩1分
井の頭線・新代田駅 徒歩6分
 下北沢駅 徒歩9分

賃料 75,000円 ・管理費等 2,000円

 間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
  礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 20.60m2 築年月 2002年4月



【物件詳細】

所在地 東京都世田谷区代田2丁目
 方位 西
 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能

間取り 1K (K2.5畳 洋室6畳 ) 駐車場 無し
 建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 4階建て / 4階

ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, システムキッチン, 浴室乾燥機, CATV, BS, CS, インターネット

【 備考 】
 下北沢9分 外壁タイル オートロック バス・トイレ別 ガスキッチン1口 浴室換気乾燥 エアコン クローゼット フローリング フレッツ光 洗濯機置室内 2路線3駅可 管理良好 4階最上階 地上デジタル ケーブルテレビ対応

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 4階 オートロック バストイレ別 ガスコンロ 洗濯機室内 タイル貼 最上階」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月30日日曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 1階 オートロック バス・トイレ別 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 1階 オートロック バス・トイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内
 外壁タイル貼 エレベーター CATV フレッツ光 地上デジタル

【物件概要】

小田急線・東北沢駅 徒歩1分
井の頭線・池ノ上駅 徒歩10分
下北沢駅 徒歩9分

賃料 71,000円 ・管理費等 4,000円

 間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
  礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 21.30m2 築年月 2003年3月



【物件詳細】

所在地 東京都世田谷区北沢3
 方位 東 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能

間取り 1K (洋室6畳 K2畳 ) 駐車場 無し
 建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 3階建て / 1階
ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, エレベーター, システムキッチン, ウォシュレット, CATV, BS, CS, インターネット

【備 考】
外壁タイル貼、ウォシュレット、オートロック、エレベーター、光ファイバー、専用ゴミ置場、バストイレ別、ガス1口、クローゼット、フローリング、洗濯機室内置、下北沢9分、CATV、地上デジタル、2階角、東大徒歩圏

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 1階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン  洗濯機室内」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月29日土曜日

下北沢 賃貸 マンション 1K 2階 オートロック バス・トイレ別 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K 2階 オートロック バス・トイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内
 外壁タイル貼 エレベーター CATV フレッツ光 地上デジタル

【物件概要】

小田急線・東北沢駅 徒歩1分
井の頭線・池ノ上駅 徒歩10分
下北沢駅 徒歩9分

賃料 76,000円 ・管理費等 4,000円

 間取り 1K 物件種類 賃貸マンション
  礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 21.30m2 築年月 2003年3月



【物件詳細】

所在地 東京都世田谷区北沢3
 方位 東 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能

間取り 1K (洋室6畳 K2畳 ) 駐車場 無し
 建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 3階建て / 2階
ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, オートロック, エレベーター, システムキッチン, ウォシュレット, CATV, BS, CS, インターネット

【備 考】
外壁タイル貼、ウォシュレット、オートロック、エレベーター、光ファイバー、専用ゴミ置場、バストイレ別、ガス1口、クローゼット、フローリング、洗濯機室内置、下北沢9分、CATV、地上デジタル、2階角、東大徒歩圏

記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 2階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン  洗濯機室内」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月24日月曜日

下北沢 賃貸 マンション 2DK 2階 振分二間 各室収納 角部屋 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 2DK 2階 振分二間 各室収納 角部屋 CATV対応

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅 徒歩3分
井の頭線・新代田駅 徒歩4分
下北沢駅 徒歩8分

賃料 87,000円・管理費等 2,000円

  間取り 2DK 物件種類 賃貸マンション
   礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
   面積 35.00m2 築年月 1985年2月



【物件詳細】

所在地 東京都世田谷区代田5
方位 西 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
部屋状況 即入居可能

間取り 2DK (DK4.5畳 洋室6畳 洋室6畳 ) 駐車場 近隣有り 26000円/月 1台分
建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 4階建て / 2階
ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
設備 給湯, シャワー, 収納, 角部屋, CATV

【備  考】 振分間取 各室収納 角部屋 全室フローリング ガス2口可 洗濯機置場浴室内 エアコンは残置物 ケーブルテレビ 地上デジタル スーパー・コンビニ至近

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 2階 2DK 振分 各室収納 各室エアコン」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月22日土曜日

下北沢 賃貸 マンション 2SDK 分譲 エレベーター 一階スーパー 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 2SDK 分譲 5階部分 エレベーター 一階スーパー 管理人日勤

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅より徒歩2分
井の頭線・新代田駅より徒歩5分
 下北沢駅より徒歩8分

賃料 115,000円 ・管理費等 なし

間取り 2SDK 物件種類 賃貸マンション
礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
 面積 52.17m2 築年月 1978年3月



【物件詳細】

所在地 東京都世田谷区代田5
 方位 西 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能

 間取り 2SDK (DK7畳 S3.8畳 和室7畳 和室4.5畳 ) 駐車場 無し
  建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 8階建て / 5階
ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, エレベーター, 駐輪場, 管理人常駐, CATV, BS, CS, インターネット

【備  考】 分譲賃貸 管理人日勤 5階部分 子供さん相談可 スーパー・コンビニ至近 振分 収納押入二間 ケーブルテレビ対応 自転車置場は管理組合と別契約 バス・トイレ別 2路線3駅利用可 エレベーターあり

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 分譲 管理人日勤 振分 エレベーター バス・トイレ別 ガスキッチン」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月20日木曜日

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分 各室収納 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 2DK 振分 各室収納 フルリフォーム済 2階 バルコニー南向

【物件概要】

井の頭線・小田急小田原線 下北沢駅より徒歩4分

 賃料 140,000円 ・管理費等 5,000円

 間取り 2DK 物件種類 賃貸マンション(鉄筋コンクリート造)
  礼金 2ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 45.00m2 築年月 1970年3月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田6丁目
  方位 南東 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
  部屋状況 即可能時期
 間取り 2DK (DK8畳 洋室6畳 洋室4.5畳 ) 駐車場 敷地内有り 40000円/月 1台分
 建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 4階建て / 2階
ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, 角部屋, 駐輪場, CATV

【備 考】 南向陽当良好 駐輪場は有料 ケーブルテレビ対応 BS無料 地上デジタル 全室フローリング 振分 各室収納 バス・トイレ別 ガス3口システム 洗濯機置場室内 両居室南向

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 2階 南向 振分 各室収納」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月18日火曜日

下北沢 賃貸 マンション 分譲 メゾネット 不動産物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 分譲 メゾネット 陽当良好 眺望良好 5-6階部分 1階スーパー

【物件概要】

小田急線・世田谷代田駅より徒歩2分
井の頭線・新代田駅より徒歩5分
 下北沢駅より徒歩10分

賃料 140,000円 ・管理費等 なし

 間取り 3DK 物件種類 賃貸マンション(鉄筋コンクリート造)
  礼金 1ヶ月 敷金 1ヶ月
  面積 66.80m2 築年月 1973年1月



【物件詳細】

 所在地 東京都世田谷区代田4丁目
  方位 東 契約形態 普通借家契約 契約期間 2年
 部屋状況 即入居可能
  間取り 3DK (洋室8畳 洋室5畳 和室6畳 DK8畳 ) 駐車場 無し
  建物構造 鉄筋コンクリート 建物階 / 所在階 10階建て / 5-6階
 ライフライン [水道] 公営[ガス] 都市ガス[風呂] 有り[トイレ] 水洗
 設備 給湯, シャワー, 収納, エアコン, 風呂トイレ別, 室内洗濯機置き場, エレベーター, 駐輪場, システムキッチン, 管理人常駐

【備 考】
分譲賃貸 メゾネット 1階スーパー エアコン3基 管理良好 陽当良好 眺望良好 東・西の二面採光

 上記の賃貸不動産物件情報は、「下北沢 賃貸 マンション 分譲 メゾネット 陽当良好 眺望良好 5-6階 エレベーターあり」より物件詳細ページにアクセスして確認できます。

2011年10月14日金曜日

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階角 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 その2

下北沢 賃貸 アパート

 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可

 物件写真 その2

 下北沢駅から徒歩9分
  井の頭線・新代田駅から徒歩3分
  小田急線・世田谷代田駅から徒歩11分
  京王線・代田橋駅から徒歩10分

 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 賃料60,000円 管理費なし

 専有面積24平米 構造:木造二階建二階部分

 所在地:世田谷区・代田6丁目

 東向 2階 角部屋 二面採光 畳交換済・水周改修済
 インターネット1Mまで無料 BS視聴可 ケーブルテレビ対応住宅 地上デジタル
 バス・トイレ別 洗濯機置場室内 ガスコンロ2口設置可 収納家具有 押入一間
 エアコン 追焚風呂釜 自転車駐輪可 3路線4駅利用可 最寄駅徒歩3分

 水周りを中心にリフォームされ綺麗な室内に仕上がっています。インターネット1Mのモデムを無料で貸与しますのでネット使用料が無料で利用できます。物件の写真が引き続き公開されていますのでお知らせします。以下のリンクよりアクセスし直接、閲覧できます(その2)。

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真6

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真7

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真8

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真9

2011年10月13日木曜日

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階角 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 その1

下北沢 賃貸 アパート

 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可

 物件写真 その1

 下北沢駅より徒歩9分
  井の頭線・新代田駅より徒歩3分
  小田急線・世田谷代田駅より徒歩11分
  京王線・代田橋駅より徒歩10分

 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 賃料60,000円 管理費なし

 専有面積24平米 構造:木造二階建二階部分

 所在地:世田谷区・代田6丁目

 東向 2階 角部屋 二面採光 畳交換済・水周改修済
 インターネット1Mまで無料 BS視聴可 ケーブルテレビ対応住宅 地上デジタル
 バス・トイレ別 洗濯機置場室内 ガスコンロ2口設置可 収納家具有 押入一間
 エアコン 追焚風呂釜 自転車駐輪可 3路線4駅利用可 最寄駅徒歩3分

 水周りを中心にリフォームされ綺麗な室内に仕上がっています。インターネット1Mのモデムを無料で貸与しますのでネット使用料が無料で利用できます。物件の写真が詳細に公開されていますのでお知らせします。以下のリンクよりアクセスし直接、閲覧できます(その1)。

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真1

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真2

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真3

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真4

下北沢 賃貸 アパート 1DK 2階 角部屋 陽当良好 バス・トイレ別 洗濯機室内 ガス2口可 写真5

 間取図のほか、物件の内覧写真・室内写真・各部写真・水周写真など詳細に複数点の画像を掲載し公開しています。

2011年10月6日木曜日

世田谷区・小田急線上部利用の基本方針と、検討経過・今後予定

 世田谷区の小田急線上部利用に関する基本方針と、引き続き検討する施設と機能についてはオープンハウスが開催されましたが、情報は世田谷区のホームページや、上部利用通信という冊子でも広く公開されています。

 世田谷区が、小田急線(代々木上原駅~東北沢駅~下北沢駅~世田谷代田駅~梅ヶ丘駅間)の連続立体交差事業及び複々線化事業に伴い生じる、線路跡地の利用について、小田急線上部利用区民意見検討委員会による区案としての上部利用計画が、上部利用通信という冊子で紹介されています。ここでは、基本的な方針や、これまでの経過・今後の予定が載っている図表をピックアップしてみます。







 世田谷区が連続立体交差事業協議会に提案する上部利用計画については、「小田急線上部利用通信No.6」から情報公開されています。

 世田谷区が関係機関と協議するにあたり収集した意見と区の考え方については、「提案する上部利用計画の主な意見と区の考え方」より情報公開されています。

2011年9月30日金曜日

世田谷区の小田急線上部利用オープンハウスの様子2

世田谷区の小田急線上部利用オープンハウスに展示されたパネルと模型の様子 その2

 世田谷区が、小田急線(代々木上原駅~東北沢駅~下北沢駅~世田谷代田駅~梅ヶ丘駅間)の連続立体交差事業及び複々線化事業に伴い生じる、線路跡地の利用について、小田急線上部利用区民意見検討委員会による区案としての上部利用計画を平成23年2月にとりまとめました。
 この内容を周知する為や区民参加型のまちづくりを推進する場として、小田急線上部利用オープンハウスが開催されました。平成23年9月26日(月曜)に代田小学校で行われた時の様子です。中央に展示したあった模型の写真を撮りましたのでアップします。

上部利用のイメージ模型(展示されていた模型の写真)

 東北沢駅付近



 下北沢駅付近 6枚











 鎌倉通り付近



 世田谷代田駅付近 4枚







2011年9月29日木曜日

世田谷区の小田急線上部利用オープンハウスの様子

世田谷区の小田急線上部利用オープンハウスに展示されたパネルと模型の様子

 世田谷区が、小田急線(代々木上原駅~東北沢駅~下北沢駅~世田谷代田駅~梅ヶ丘駅間)の連続立体交差事業及び複々線化事業に伴い生じる、線路跡地の利用について、小田急線上部利用区民意見検討委員会による区案としての上部利用計画を平成23年2月にとりまとめました。
 この内容を周知する為や区民参加型のまちづくりを推進する場として、小田急線上部利用オープンハウスが開催されました。平成23年9月26日(月曜)に代田小学校で行われた時の様子です。情報そのものは既に上部利用通信などで公開されているもの以上のものはありませんでしたが、アンケートなどで住民の意見などを採り入れようとしていた感じではあります。ただ、パネルと模型が設置されているだけで、ご自由にどうぞといった雰囲気ではあまりにオープン過ぎて具体的な質問などが出難いのではと思われました。具体的に質問していた方もいらっしゃいましたが、時期的なことや、より詳細な内容については回答できない段階なのか、曖昧というか、具体的に聞くほどにぼやけた回答になっていく印象もありました。むしろ、現時点で決まっていること、説明できること、周知したいことを整理・羅列して、例えばビデオやスライドなどで繰り返しお知らせしたほうが良いのではといった印象に感じました。
 とりあえず、展示したあったパネルと模型の写真を撮りましたのでアップしておきます。

上部利用のイメージ図(パネル)





















2011年9月25日日曜日

下北沢 賃貸 マンション 3DK 分譲 メゾネット 写真 その3

下北沢 賃貸 マンション

 3DK メゾネット 5-6階 眺望良好・陽当良好 分譲・管理人日勤 その3

 下北沢駅まで徒歩10分
  小田急線・世田谷代田駅まで徒歩2分
  井の頭線・新代田駅まで徒歩5分

 メゾネットタイプの間取、分譲マンションにつき管理体制も良好。
 1階がスーパーで買物も便利です。

 賃料145,000円 管理費なし 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 専有面積35平米 構造:鉄筋コンクリート造

 所在地:世田谷区・代田4丁目

 分譲マンション 管理良好 エレベーター 5-6階 メゾネットタイプ
 ガスキッチン 洗濯機室内 バス・トイレ別 フローリング エアコン3基 給湯式
 2路線3駅利用可 眺望良好 陽当良好 収納容量大 各居室に収納あり

 更に、引き続き、室内写真・内覧写真・各部写真など詳細な画像と写真を閲覧できますので、内見前のお部屋を容易にイメージできます。以下のリンクよりアクセスしてください。

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真12

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真13

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真14

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真15

2011年9月24日土曜日

下北沢 賃貸 マンション 3DK 分譲 メゾネット 写真 その2

下北沢 賃貸 マンション

 3DK メゾネット 5-6階 眺望良好・陽当良好 分譲・管理人日勤 その2

 下北沢駅から徒歩10分
  小田急線・世田谷代田駅から徒歩2分
  井の頭線・新代田駅から徒歩5分

 メゾネットタイプの間取、分譲マンションにつき管理体制も良好です。

 賃料145,000円 管理費なし 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 専有面積35平米 構造:鉄筋コンクリート造

 所在地:世田谷区・代田4丁目

 分譲マンション 管理良好 エレベーター 5-6階 メゾネットタイプ
 ガスキッチン 洗濯機室内 バス・トイレ別 フローリング エアコン3基 給湯式
 2路線3駅利用可 眺望良好 陽当良好 収納容量大 各居室に収納あり

 1階がスーパーにつき買物も便利です。

 引き続き、室内写真・内覧写真・各部写真など詳細な画像と写真を閲覧できますので、内見前のお部屋を容易にイメージできます。以下のリンクよりアクセスしてください。

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真7

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真8

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真9

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真10

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真11

2011年9月15日木曜日

下北沢 賃貸 マンション 3DK 分譲 メゾネット 5-6階 145,000円

下北沢 賃貸 マンション

 3DK メゾネット 5-6階 眺望良好・陽当良好 分譲・管理人日勤 その1

 下北沢駅より徒歩10分
  小田急線・世田谷代田駅より徒歩2分
  井の頭線・新代田駅より徒歩5分

 メゾネットタイプの間取、分譲マンションにつき管理体制も良好です。

 賃料145,000円 管理費なし 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 専有面積35平米 構造:鉄筋コンクリート造

 所在地:世田谷区・代田4丁目

 分譲マンション 管理良好 エレベーター 5-6階 メゾネットタイプ
 ガスキッチン 洗濯機室内 バス・トイレ別 フローリング エアコン3基 給湯式
 2路線3駅利用可 眺望良好 陽当良好 収納容量大 各居室に収納あり

 1階がスーパーにつき買物も便利です。

 物件情報とあわせて、間取図・外観写真のほか、室内写真・内覧写真・各部写真など詳細な画像と写真を閲覧できますので、内見前のお部屋を容易にイメージできます。以下のリンクよりアクセスしてください。

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真1

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真2

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真3

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真4

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真5

下北沢 賃貸 マンション 3DK メゾネット 5-6階部分 分譲賃貸 エレベーター 収納容量大 写真6

2011年9月9日金曜日

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階 89,000円

下北沢 賃貸 マンション

 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階 角部屋

 下北沢駅より徒歩8分
  小田急線・世田谷代田駅より徒歩3分
  井の頭線・新代田駅より徒歩4分

 人気の振分タイプの間取で、各室に収納が一間づつ。2階部分の角部屋、洋室2室とDKも含め全室フローリングです。

 賃料87,000円 管理費2,000円 賃貸条件 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 専有面積35平米 構造:鉄筋コンクリート造

 築年:1985年 所在地:世田谷区・代田5丁目

 RC造 ケーブルテレビ対応 地上デジタル フレッツ光・マンションタイプ
 二面採光 全室フローリング バストイレ洗面同室 ガス2口可
 押入各室一間・計二間 給湯 エアコン2基 2路線3駅利用可
 スーパー・コンビニ・100円ショップ至近

 物件情報とあわせて、間取図・外観写真のほか、室内写真・内覧写真・各部写真など詳細な画像と写真を閲覧できますので、内見前のお部屋を容易にイメージできます。以下のリンクよりアクセスしてください。

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真1

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真2」 

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真3

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真4

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真5

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真6

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真7

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真8

下北沢 賃貸 マンション 2DK 振分二間 各室収納 全室フローリング 2階・角部屋 写真9

2011年8月28日日曜日

下北沢 賃貸 マンション オートロック 2階 管理費込68,000円

下北沢 賃貸 マンション

 1K オートロック タイル貼 重量鉄骨造 閑静な住宅街

 2階 区立羽根木公園至近 2路線3駅利用可 スーパー・コンビニ至近

 下北沢駅より徒歩10分
 小田急線・世田谷代田駅より徒歩3分
 井の頭線・新代田駅より徒歩5分

 2階 賃料66,000円 管理費2,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田4丁目

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット シューズ収納
 風呂トイレ同 洗濯機室内 IHコンロ1口付 地上デジタル
 BS ケーブルテレビ対応 インターネット・フレッツ光
 スーパー・コンビニ至近 閑静な住宅街 2路線3駅利用可

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真1
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真2
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真3
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真4
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真5
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真6
下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 閑静なイ住宅街 1K 1階および2階 写真7

2011年8月19日金曜日

下北沢 賃貸 マンション 利便性と静寂性が両立する好立地

下北沢 賃貸 マンション

 1K オートロック タイル貼 RC造 バス・トイレ別

 2階および3階部分 下北沢一番街商店街至近 かつ 閑静な住宅街

 下北沢駅より徒歩7分
 小田急線・東北沢駅より徒歩4分
 井の頭線・池ノ上駅より徒歩9分

 2階 賃料80,000円 管理費5,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月
 3階 賃料81,000円 管理費5,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・北沢3丁目

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット シューズ収納
 風呂トイレ別 洗濯機室内 ガスコンロ1口付 地上デジタル
 地上デジタル ケーブルテレビ対応 インターネット・フレッツ光
 築浅 管理体制良好 商店街至近かつ静かな住環境が調和する立地

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真1
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真2
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真3
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真4
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真5
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真6
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 良好な住環境 1K 鉄筋コンクリート 写真7

2011年8月18日木曜日

下北沢 賃貸 マンション コンクリート打放 4階 1K 物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 1K オートロック コンクリート打放 RC造 バス・トイレ別

 最上階・4階部分 スーパー・コンビニ・100円ショップ至近 最寄駅より徒歩1分

 下北沢駅より徒歩8分
 小田急線・世田谷代田駅より徒歩5分
 井の頭線・新代田駅より徒歩1分

 賃料76,000円 管理費2,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田5丁目

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 内階段・内通路
 風呂トイレ別 洗濯機室内 ガスコンロ1口付 浴室換気乾燥機能付
 地上デジタル ケーブルテレビ対応 インターネット 地上デジタル

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 角部屋 写真1
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 角部屋 写真2
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 角部屋 写真3
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 角部屋 写真4
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 角部屋 写真5

2011年8月9日火曜日

下北沢 賃貸 マンション アパート お薦め情報リスト

下北沢 賃貸

 下北沢駅を中心に、世田谷区、小田急線・井の頭線の隣接駅を含めた賃貸不動産物件の最新情報が一覧で公開されましたのでお知らせします。

 下北沢駅より徒歩圏の賃貸マンション・賃貸アパートのお薦め情報がリストアップされています。詳細ページへのリンクもあり、ここから間取図や外観写真・室内写真を閲覧できます。
 物件管理元が情報を直接に開示していますからタイムラグの無い新鮮で正確な情報を入手できます。

 管理費込家賃が75,000円以下の物件と、75,000円以上の物件に分けて情報を公開しています。

 以下のリンクよりアクセスできます。

世田谷区 下北沢 賃貸マンション 賃貸アパート 75,000円以下の物件情報リスト

世田谷区 下北沢 賃貸マンション 賃貸アパート 75,000円以上の物件情報リスト

 賃貸不動産物件の情報はお薦め物件を一覧形式にまとめて公開されています。このほか、お部屋探しに有用な情報のリンクも紹介しています。とくに、下北沢の賃貸マンションの情報が拡充されいます。下北沢エリアでのお部屋探しなら要チェックです。

2011年8月7日日曜日

下北沢 賃貸マンション バス・トイレ別 物件情報 最上階・4階

下北沢 賃貸 マンション

 1K オートロック タイル貼 RC造 バス・トイレ別

 鉄筋コンクリート スーパー・コンビニ至近 最寄駅より徒歩1分

 下北沢駅より徒歩9分
 小田急線・世田谷代田駅より徒歩1分
 井の頭線・新代田駅より徒歩6分

 賃料75,000円 管理費2,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田2丁目

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 玄関シューズ収納
 風呂トイレ別 洗濯機室内 ガスコンロ1口付 浴室換気乾燥機能付
 地上デジタル ケーブルテレビ対応 フレッツ光マンションタイプ

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真1
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真2
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真3
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真4
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真5
下北沢 賃貸 マンション 1K 4階 オートロック バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機置場室内 RC造 写真6

2011年8月4日木曜日

下北沢 賃貸 マンション 情報 最新情報を一覧で公開

下北沢 賃貸

 下北沢駅を中心に、世田谷区、小田急線・井の頭線の隣接駅を含めた賃貸不動産物件の最新情報が一覧で公開されましたのでお知らせします。

 下北沢駅より徒歩圏の賃貸マンションに特化して情報公開。詳細ページへのリンクもあり、ここから間取図や外観写真・室内写真を閲覧できます。
 物件管理元が情報を直接に開示していますからタイムラグの無い新鮮で正確な情報を入手できます。

 以下のリンクよりアクセスできます。

下北沢 賃貸マンション 最新情報 物件リスト 詳細リンク

下北沢 賃貸 マンション 物件情報 世田谷区 小田急線 井の頭線 下北沢駅徒歩圏

 賃貸不動産物件の情報はお薦め物件を一覧形式にまとめて公開されています。このほか、お部屋探しに有用な情報のリンクも紹介しています。とくに、下北沢の賃貸マンションの情報が拡充されていますので、下北沢でお部屋探しをするなら活用してください。

2011年8月1日月曜日

下北沢 賃貸マンション バス・トイレ別 物件情報 下北沢駅徒歩圏

下北沢 賃貸 マンション

 1K オートロック タイル貼 RC造 バス・トイレ別

 鉄筋コンクリート スーパー・コンビニ至近 最寄駅より徒歩1分

 下北沢駅より徒歩9分
 小田急線・東北沢駅より徒歩1分
 井の頭線・池ノ上駅より徒歩10分、千代田線・代々木上原駅より徒歩11分

 管理費込家賃7万円(70,000円より)から、2階部分8万円(80,000円)

 所在地:世田谷区・北沢3丁目

 3路線4駅利用可の好立地、駅近ですが閑静な住宅街に位置し静かな住環境です。

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 玄関シューズ収納
 風呂トイレ別 洗濯機室内 ガスコンロ1口付 ウォシュレット
 地上デジタル ケーブルテレビ対応 フレッツ光マンションタイプ

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真1
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真2
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真3
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真4
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真5
下北沢 賃貸 マンション エレベーター オートロック バス・トイレ別 ウォシュレット 1K RC造 写真6

2011年7月17日日曜日

下北沢 賃貸 マンション 外観写真 室内写真 最上階・角部屋 ワンルーム

下北沢 賃貸 マンション

 ワンルーム 最上階・角部屋 バルコニー南向

 鉄筋コンクリート(RC造)マンション スーパー・コンビニ・100円ショップ至近

 下北沢駅より徒歩8分
 小田急線・世田谷代田駅より徒歩3分
 井の頭線・新代田駅より徒歩4分

 賃料70,000円 管理費2,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田5丁目

 2路線3駅利用可 1フロア2住戸の独立した間取

 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 玄関シューズ収納
 バストイレ同室 洗濯機室内 IHコンロ1口ビルトイン
 地上デジタル ケーブルテレビ対応マンション

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション 1R バルコニー南向 4階・最上階 洋室7帖フローリング 陽当良好 写真1

下北沢 賃貸 マンション 1R バルコニー南向 4階・最上階 洋室7帖フローリング 陽当良好 写真2

下北沢 賃貸 マンション 1R バルコニー南向 4階・最上階 洋室7帖フローリング 陽当良好 写真3

下北沢 賃貸 マンション 1R バルコニー南向 4階・最上階 洋室7帖フローリング 陽当良好 写真4

下北沢 賃貸 マンション 1R バルコニー南向 4階・最上階 洋室7帖フローリング 陽当良好 写真5

2011年7月12日火曜日

下北沢 賃貸 マンション 7万円以下 物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 70,000円以下(7万円以下)物件情報

 外壁タイル貼 オートロック 鉄筋コンクリート(RC造)マンション

 下北沢駅より徒歩10分
 小田急線・世田谷代田駅より徒歩3分
 井の頭線・新代田駅より徒歩5分

 賃料65,000円 管理費2,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田4丁目

 2路線3駅利用可、スーパー・コンビニ至近

 重量鉄骨造タイル貼 オートロック 管理良好
 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 玄関シューズ収納
 バストイレ同室 洗濯機室内 IHコンロ1口ビルトイン
 地上デジタル フレッツ光マンションタイプ
 閑静な住宅街 区立羽根木公園至近

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション オートロック タイル貼 洋室7帖フローリング 閑静な住宅街 写真1


下北沢 賃貸 マンション オートロック タイル貼 洋室7帖フローリング 閑静な住宅街 写真2


下北沢 賃貸 マンション オートロック タイル貼 洋室7帖フローリング 閑静な住宅街 写真3


下北沢 賃貸 マンション オートロック タイル貼 洋室7帖フローリング 閑静な住宅街 写真4


下北沢 賃貸 マンション オートロック タイル貼 洋室7帖フローリング 閑静な住宅街 写真5

2011年7月10日日曜日

下北沢 賃貸物件情報 一覧 最新情報を随時に一覧で公開

下北沢 賃貸

 下北沢エリアを中心に、世田谷区、小田急線・井の頭線・京王線の賃貸不動産物件の最新情報を随時に一覧で公開しているサイトを紹介します。
 とくに、下北沢駅より徒歩圏の賃貸マンションの情報が充実しています。お薦め物件一覧からは詳細ページへのリンクがあり、ここから間取図や外観写真・室内写真を閲覧できます。週に2回ほどの更新頻度にて情報公開されていますので情報も新鮮です。
 物件管理元が情報を直接に開示していますからタイムラグの無い情報を入手できます。

 以下のリンクよりアクセスできます。

下北沢 賃貸 一覧 下北沢エリアのお部屋探し・賃貸物件検索・不動産情報

下北沢 賃貸 不動産物件情報 一覧

 賃貸不動産物件の情報はお薦め物件を一覧形式にまとめて公開されています。このほか、お部屋探しに有用な情報のリンクも紹介しています。とくに、下北沢の賃貸マンションの情報が拡充されていますので、下北沢でお部屋探しをするなら活用してください。

2011年7月5日火曜日

下北沢 賃貸 マンション バス・トイレ別 物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 バス・トイレ別(セパレートタイプ)物件情報

 外壁タイル貼 オートロック 鉄筋コンクリート(RC造)マンション

 下北沢駅より徒歩9分
 小田急線・東北沢駅より徒歩1分
 井の頭線・池ノ上駅より徒歩10分

 賃料71,000円 管理費4,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・北沢3丁目

 2路線3駅利用可、スーパー・コンビニ至近

 鉄筋コンクリート・RC造 オートロック 管理良好
 エアコン 給湯 フローリング クローゼット 玄関シューズ収納
 バストイレ別 洗濯機室内 ガスキッチン1口ビルトイン
 地上デジタル ケーブルテレビ フレッツ光マンションタイプ

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 1K バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機室内 写真1

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 1K バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機室内 写真2

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 1K バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機室内 写真3

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 1K バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機室内 写真4

下北沢 賃貸 マンション タイル貼 オートロック 1K バストイレ別 ガスキッチン 洗濯機室内 写真5

2011年7月2日土曜日

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 物件情報

下北沢 賃貸 マンション

 デザイナーズ 物件情報

 外壁コンクリート打放・内装白大理石調床材、お洒落なオートロック・マンションです。

 下北沢駅から徒歩8分
 小田急線・世田谷代田駅から徒歩3分
 井の頭線・新代田駅から徒歩4分

 賃料73,000円 管理費5,000円 礼金1ヶ月・敷金1ヶ月

 所在地:世田谷区・代田5丁目

 2路線3駅利用可、スーパー・コンビニ・100円ショップ至近

 鉄筋コンクリート・RC造 エレベーター オートロック
 エアコン 給湯 洗濯機室内 大理石調床 IHキッチン
 地上デジタル ケーブルテレビ フレッツ光マンションタイプ

 管理良好で綺麗なマンションです。

 物件情報は以下のリンクから、外観写真・内覧写真とあわせて公開されています。

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真1

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真2

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真3

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真4

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真5

下北沢 賃貸 マンション デザイナーズ 3階 コンクリート打放 オートロック 白大理石調床 物件写真6

2011年6月25日土曜日

下北沢の歴史や地名など、昔のローカル情報を閲覧できるサイト

下北沢 情報

 「古文書(新編武蔵風土記稿)に探す世田谷区と下北沢の地名

 江戸時代に地誌を編纂した文献に、「新編武蔵風土記稿」があります。

 この文献は、江戸幕府により編纂された地誌で、文化7年(1810年)から、11年もの歳月をかけて、武蔵国各村の明細帳と地誌調書をもとに、これに古記録類などを加味して、作成された貴重な文献です。幕府へは天保元年(1830年)に「新編武蔵風土記稿」として献上されました。正式に幕府より製本されなかったので稿本といった表題がついていますが、これだけの規模と内容を網羅した地誌は他に類をみないため、当時の地名などを知る上で非常に有用かつ貴重な書物といえます。
 このような内容の文献が残っているのは、明治17年(1884年)に内務省地理局が、幕府に献上された浄書稿本の翻刻版を『新編武藏風土記稿』として刊行した為です。このため、その内容を現代でも容易に確認することができます。
 武蔵国は現在の東京都と埼玉県にあたりますので、それなりの広範囲が市町村レベルの詳細で網羅されているため、当時の地名などを確認するのに大変に有用です。

 上記のリンクからは、下北沢を中心とした世田谷区の昔の地名を整理してまとめたものを確認できます。国立公文書館からはデジタルアーカイブによって情報公開もされています。

 また、このほか画像などを公開してるサイトもありますの以下にリンクで紹介します。

 「新編武蔵国風土記稿の挿絵

 文献には文字だけでなく挿絵も含まれています。この挿絵を改めて鮮明に画像処理しているものと思われます。したがって、非常に綺麗に描画された絵図を閲覧できます。

2011年6月24日金曜日

下北沢 地図 情報 昭和22年以降の地図(古地図)

下北沢 情報

 世田谷区・下北沢の古い地図(昭和22年以降の昔の地図)

 昭和30年頃の地図と、この当時の地図情報を確認できるサイトなどを紹介しています。昭和22年(1947年)に東京都が23区制を採用し、その後、昭和42年(1962年)頃に住居表示制に移行します。この時が最も地名に変遷がみられる時期となります。よって、この中間の年代、すなわち、昭和30年頃の地図と、現在の地図を比較することが出来れば、概ね、23区制以後と、住居表示制以後の地名の相違を容易に確認することが可能です。

古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和22年以降「昭和31年の地図と比較」)その1

古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和22年以降「昭和31年の地図と比較」)その2

 下北沢の周辺地域では、住居表示制によって、梅丘と代沢という新たに独立した町名が誕生したことが判ります。また、これに伴い、下代田町という町名もなくなります。
 そのほか、世田谷区の地域では、千歳台という町名が新たに独立(廻沢町という地名がなくなる)したほか、桜上水や駒沢公園といった地名も新たに独立した町名のようです。

 世田谷区では、昭和39年より、北沢一丁目~五丁目・代沢一丁目~五丁目辺りから順次に開始され、昭和46年までに、瀬田一丁目~五丁目・祖師谷一丁目~六丁目・玉川台一丁目~二丁目・千歳台一丁目~六丁目・用賀一丁目~四丁目を完了し、未実施区域はないとのことですが、実に7年もの時間を要して行われていたわけです。

2011年6月23日木曜日

下北沢 地図 情報 昭和15年頃の地図(古地図)

下北沢 情報

 世田谷区・下北沢の古い地図(昭和15年頃の昔の地図)

 ようやく、東京都と地図上に表記されるのを読み取れるのが、この年代の頃です。世田谷区の北沢(北澤)に関してのみいえば、既に北澤一丁目・二丁目・三丁目・四丁目・五丁目の記述があり、現在の町界と相違がありません(ただし、代田は一丁目と二丁目しかなく、代沢は存在せず下代田である)。
 鉄道路線も小田急線・井の頭線ともに既に確認できる年代であるものの、駅名の呼称については現在とは一部異なっています。
 ただ、東京府と東京市が廃止され、統合されるように東京都が設置されますが、下北沢周辺の地名に、この時期における変化はなかったようです。

古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和15年以降の地図)その1

古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和15年以降の地図)その2

 昭和20年(1945年)の東京大空襲直後に作成された都市計画図や戦災焼失区域図など戦争の傷跡を考えずにはいられない地図なども、この年代特有のものといえるでしょう。

2011年6月21日火曜日

下北沢 地図 情報 昭和初期の地図(古地図)

下北沢 情報

 世田谷区・下北沢の古い地図(昭和時代・初期の地図)

 いまだ、東京都が、東京市だった頃の地図をまとめています。地名としては現在の地名をほぼ確認できますが、東京市の世田谷区(世田谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村で「区」が誕生)した際には、下北沢という地名が正式には存在しなくなった時期です。また、梅丘や代沢といった地名も時代的には、もう少し後の地図を見ないと確認できません。
 地図的には、小田急線と井の頭線が確認(駅名などは現在の名称と必ずしも一致していませんが)できるようになり、地名も、北沢一丁目、北沢二丁目、北沢三丁目、北沢四丁目、北沢五丁目、下代田町(以後、正式にはなくなる地名)、代田一丁目、代田二丁目、大原町、羽根木町、松原町四丁目などが確認できます。

古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その1

古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その2

古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その3

 明治から昭和にかけての地図を比較すると、村が町になっていく様子や、鉄道路線が整備されていく様子が確認できます。この年代頃の地図が描画的には見比べて変化を読み取る箇所が多い頃と思います。その意味でも面白いというか興味深い変遷をみてとれます。

2011年6月20日月曜日

下北沢 地図 情報 明治時代・大正時代の絵図(古地図)

下北沢 情報

 世田谷区・下北沢の古い地図(明治時代と大正時代の地図)

 下北沢(下北澤)や、世田谷・代田・若林・松原・太子堂などの地名は、比較的に古い年代の地図にも、その地名を多く確認できますが、むろん、近代(明治時代・大正時代)の地図においても地名を確認できます。当時の地図を参照しながら地名の変遷をまとめていますので紹介します。

古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その1

古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その2

古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その3

古地図にみる世田谷区の下北沢(明治・大正の地図)その4

 下北沢の周辺の地名は、下北沢のほか、薩摩、下北沢西、新屋敷、下山谷、新屋敷という地名も定着していたことが判ります。
 当時は、いまだ、「村」であり、世田谷村の大字や字として下北沢付近の地名が呼称されていたようです。したがって、世田谷村大字下北沢といった名称であったことが判ります。現在、下北沢という正式な地名は存在しませんが、過去には下北沢という地名があり、明治や大正の頃は、北沢何丁目という括りもなく、大字下北沢という地名が正式なものとして存在していたということです。

2011年6月19日日曜日

下北沢 地図 情報 江戸時代の絵図(古地図)

下北沢 情報

 世田谷区・下北沢の古い地図(江戸時代の絵図)

 下北沢(下北澤)や、代田・若林・松原・太子堂などの地名は古地図にも、その地名をより多く確認できます。1800年頃以降の江戸時代の絵図を参照して地名の変遷などがまとめられていますので紹介します。

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その1

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その2

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その3

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その4

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その5

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その6

古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その7

 江戸時代においても、律令制の名残は存在し、道国郡という分類で地名を把握していたようです。世田谷区・下北沢の辺りは、東海道・武蔵国・荏原郡にある世田谷領の下北沢村という位置づけになります。

 武蔵国(現東京都・現埼玉県)の地名は、「日本書紀」に初見され、奈良時代末期の「万葉集」には「牟射志」という表記もみられるようです。

 荏原郡という地名も「万葉集」に見られるほど古いもので、平安期の律令制を定めた「延喜式」や、当時の辞書にあたる「和名抄」によれば、武蔵国は、国府(現府中市)のあった「多磨郡」のほか、橘樹郡、荏原郡、豊島郡、足立郡など二十一郡からなり、荏原郡には蒲田・田本・満田・荏原・覚志・御田・木田・桜田・駅家の九郷があったとされています。
 ただし、各郷には諸説あり必ずしも明確になっていない(現世田谷区・世田谷の辺りは、覚志郷に属していたとされているも郡司以下の所在地などについて通説とされるものがないようである)。

 よって、世田谷という地名のルーツとしては、むしろ、多磨郡・勢多郷にあるとし、これが世田ヶ谷に変質したとみる説も有力なようである。
 多磨郡は平安期から狛江の地名が確認でき、これが以後、鎌倉期の木田見に、江戸時代の喜多見に推移していったと思われる(この地域も後に世田谷区の一部となる、また多磨郡・勢多郷が、多磨郡・世田ヶ谷になり、さらに、その後の荏原郡・世田谷領・瀬田村の起源となっているという見解もあるようです)。

 大化の改新以降の武蔵国の中心は国府がある現府中であり、多摩川という水利のある地域の方が人々が生活し易い環境にあったと思われる。このため、現在の世田谷区・世田谷が文献で確認できるのは世田谷吉良氏が世田谷城を築城した以降の「鎌倉鶴岡八幡宮古文書(吉良治家寄進状)」、下北沢のほか周辺地域の地名がまとめて文献で確認できるのは、江戸時代になってからの「新編武蔵風土記稿」など比較的に新しい史料となってくるようです。

2011年6月13日月曜日

世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その2

世田谷区の歴史(由来・起源)

『世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その2』

 世田谷区の歴史から、その生い立ちを見る事で世田谷の起源、ないし、その由来を考えてみます。『世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その1』に引き続き、「集落」に着目して考察します。

 「集落」とは、一定の土地に数戸以上の社会的まとまりが形成された住民生活の基本的な地域単位
であり、「地名」の起源を考えるにあたり、これを「対外的に表意・表示」した時期が「何時」なのかを時系列で整理しています。

 まず、その分類を、農耕集落、首長集落、律令集落、荘園集落、開発集落と定義し、本稿その2では、荘園時代以降をとりあげます。

※荘園集落期(平安末期・源平・南北朝・鎌倉期 938-1333年の頃)

 律令制は、延喜式(延喜5年(905年)醍醐天皇の命により藤原時平・忠平らが編纂し、康保4年(967年)施行)により、その格式の完成をみるが、これ以前、天平15年(743年)の墾田永年私財法発布により、私有地が認められ、公地公民制の崩壊が始まったとされています。
 財力のある貴族や大寺院などが農民を使い開墾を行い、私有地を広げていき、これが初期荘園とされています。その後、土地を守る為に「武士」が登場し集落形成にも大きな影響を与えたと考えられます。

 この頃の武士として、平将門の名を歴史上多く確認でき、武蔵国では、源経基が武蔵国介として赴任した、天慶2年(939年)、郡司武蔵武芝と紛争が起き、この調停者として武蔵国へ進出したのが平将門とされています。その後も、後任の武蔵国守とのいさかいに将門が関係し、やがて、その反逆は関東全域に広がっていきました。
 将門は、当時の政治に反感を持つ人達に支持され、下野、上野、武蔵、相模、伊豆、下総、上総、安房の国府を攻め落とし、天慶2年(939年)、上野国の大宝八幡の境内で新皇と名乗りましたが、朝廷から将門追討の命が下り、藤原忠文が征東大将軍に任ぜられ、天慶3年(940年)に戦死します(この追討の副将軍が、源経基で清和源氏の始祖であり、後の世田谷吉良氏は、この支族である)。将門は討たれるものの、律令制的支配の後退と武士の台頭を示す出来事といえるでしょう。
 
 また、この頃、徴税対象が人から土地に代わり、「名田」単位に編成され、これを請作する農民を田堵といい、有力な大名田堵、さらに力をつけた開発領主が現れます。
 開発領主は、境界などを巡って他の開発領主などと紛争が起こることも多く、より権威のある中央の有力貴族や有力寺社へ開発田地を寄進し(寄進型荘園)、支配・管理権を確保していきます。
 さらに、中央の下級貴族が地方へ下向した際に、自ら(開発領主)よりも身分の高い武士貴族と主従関係を結ぶことにより、荘園を巡る紛争解決に役立てようとした結果、武士に転身する開発領主も少なくなかったようです。この主従関係を繰り返し、徐々に、より大きな武士団が形成されていき(秩父党、横山党、武蔵七党など)、中央よりも地方が勢力をもつようになります。寄進型荘園は、延久の荘園整理令が発せられた11世紀後半から全国各地へ本格的に広まってゆき、平安時代末期にかけて最盛期を迎えます。

 ここに、土地を開墾した集落があり、よって私有地起源の「荘園集落」と分類する。

 とくに、「住民生活の基本的な地域単位」だけの集落でなく、その境界などを「対外的に表意・表示」する必要があり、これに「名称を付与」することが生じたものと思われる(まさに、地名を含む当該土地の起源があると解釈できる)。この頃、郡以下の細区分レベルで、より多くの地名が発生したと推定される。

 ただ、荘園発生の経緯からして小荘園が大荘園に飲み込まれる過程を繰り返すため、「地名」として定着するには一定の時間が必要だったと思われます。

 世田谷周辺に荘園があって、この記録が地名として何かの形で確認できる「時期」こそが原始的発生時と推定されるものの、世田谷という地名の起源につながるとする通説には至っていないようです。

 なお、世田谷は「菅刈」の荘園であることを示す、菅刈庄の一部に属したとされている。10世紀の初めごろに作られた「倭名抄」によると、大化の改新以降の菅刈の地域は東海道・武蔵国・荏原郡・覚々志(かがし)郷に属していたと考えられる。
 また、江戸初期の「新編武蔵風土記稿」によると、現在の目黒区の西半分と世田谷区の東半分にかけての地域を「菅苅荘」「菅苅庄」と呼んだとある。下北澤村の記載箇所にも菅苅庄の旨が確認できる。
 このように、菅刈庄という荘園があり、その記録はあるものの、これが後の世田谷という地名にどう変質したのかまでは究明されていないようである。

 ちなみに、世田谷区にはこのほか、給田や飛田給といった荘園領主が荘官や地頭に給料として支給した田を意味するとされる荘園に由来するであろう地名も実在する(年代として何時頃が起源かは不明)。

 結論的には、平安末期から源平時代を経て鎌倉末期に至る頃には、世田谷の起源が発生していたものと推定していますが、「何時」かを示す決定的な根拠がありません。

 ただし、承平年間(931-938年)に編纂された「和名抄」に、多摩郡・勢多郷の地名が確認されていること(荏原郡ではなかったようです)。
 および、鎌倉期には、武蔵国木田見郷(現喜多見一帯)が江戸氏一族・木田見氏の領地であったことが、「熊谷家文書」が確認されており、この文書に、木田見郷の領地を巡って熊谷氏との間に起こした相論に関する文書が含まれ、その初見が、文永11年(1274年)のものと確認されていること(区内の土地領有関係を示す最も古い文書とされる)。
 さらに、吉良氏が治家の鎌倉鶴岡八幡宮にあてた寄進状から、永和2年(1376年)の段階で、既に吉良氏の領地が世田谷郷内にあったことが確認されていること。
 そして、貞治5年(1366年)、吉良治家が世田谷郷を与えられたとされる「文献不明」こと、および「相模文書」に、永徳2年(1382年)の平義景打渡状があり、武蔵国荏原郡世田郷(世田左衛門入道跡)とあること(ただし、世田氏なる人物が吉良氏の関係か否かを文献で確認できないので、この見解は少数説とみてよい)。

 以上の4点をもって、938年以降-1376年以前において、勢多郷から世田谷郷という地名が変質(もしくは発生)した時期があり、これを、地名起源の一定期間とでも位置づけることは可能と思う、おおむね11世紀と結論づけることとする。

 ただし、この結論づけにも、やや異論を挟む余地がある。なぜなら、多磨郡・世田ヶ谷領に変質したのが勢多郷であり、荏原郡・世田谷領は、これとは別に原始的発生ともいうべきかやや唐突に表意され始めたように思われるからである。
 したがって、この二つを別の起源と捉えるのであれば、吉良治家が世田谷郷を与えられたとされる、貞治5年(1366年)の頃に、与えられた土地を「世田谷郷」とネーミングしたかのにように解釈するほうが自然である。とするならば、14世紀であり、荘園期に起源があるとするには無理があるといえる。

 よって、多磨郡・世田ヶ谷領も荏原郡・世田谷領も同じ現在の世田谷区であり、広義の世田谷の起源と捉えるなら、荘園時代の11世紀頃に地名の変質的起源があったものと解釈できる。
 他方、多磨郡・世田ヶ谷領と荏原郡・世田谷領とは別の生い立ちがあり、荏原郡・世田谷領を狭義の世田谷の起源と捉えるなら、吉良家が世田谷郷を与えられたとされる14世紀頃に地名の発生的起源があったものと解釈できる。
 後者の狭義説によれば、後述の開発集落期に分類するのが妥当と思われる。 

※開発集落期(室町・戦国・江戸)

 永和2年(1376年)以降、既に世田谷郷が存在し、世田谷の起源も既にあるものと考えてよいわけですが、この開発集落期も同様に分類します。この年代以降は、世田谷吉良氏の歴史ともいえそうです(あるいは、吉良家に世田谷領が与えられた、もしくは世田谷城が築城された頃が、まさに世田谷の起源であると狭義にとらえるべきかもしれません)。

 吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流、足利義継を祖とし、その子・経氏の時、吉良姓を名乗ったと伝えられる。
 吉良治家は足利将軍家の「御一家」として鎌倉公方に仕えることになり、世田谷と蒔田(現横浜市)にその本拠を置いたので、世田谷御所あるいは蒔田殿と称された。
 世田谷城を構築した時期は不明であるが、応永年間(1394-1426年)の頃、居館として整備されたと考えられている。
 
 ちなみに、吉良氏の格式を知るものとして、享徳3年(1454年)に選述された「殿中以下年中行事」があり、ここに、鎌倉府では公方様が鎌倉の主(最高の地位)であり、次ぎは管領であり、その次ぎは「御一家」であると記されている。吉良氏はこの「御一家」中に列して厚く遇されていた。
 戦国武将としての側面は、文明20年(1480年)「太田道灌状」から読むことができ、扇谷上杉氏と姻戚関係にある吉良成高は、扇谷上杉氏の重臣である太田道灌の協力者として、江戸城内に在城し督戦、そして、勝利を得たこと感謝された旨が記されている。
 北条早雲が小田原に城を構えて以来、関八州に絶大な勢力を誇っていた後北条氏(小田原北条氏)は世田谷吉良氏が将軍家足利氏の一族であることを重視し平和的に懐柔しようと考えた。すなわち、戦国期の吉良氏は吉良成高の軍事行動以外、史料の上で合戦に参加したという微証がなく、吉良氏は、戦国大名でありながら戦場に臨まない武将であった。つまり、後北条氏は、吉良氏が「足利御一家衆」であることを利用し、あえて滅ぼさず、吉良氏以外の武士団に対して、足利御一家衆の親戚であることを誇示して、後北条氏の家格を高めることに利用したのである。
 
 後北条氏は領土の拡張に伴って、要所要所に支城を配置し、その領国体制を固めていった。その中でも、特に重要な拠点であった江戸と小机(現横浜市)を結ぶ位置にある吉良氏の本拠地・世田谷は、後北条氏の注目することとなったのであろうか、後北条氏四代氏政は天正6年(1578年)、世田谷に新たに宿場(世田谷新宿)を設け、楽市を開いた、その目的は、軍事・政治上必要な伝馬の確保にあり、そのためには宿場の繁栄が必要不可欠であった。こうして、世田谷に楽市が開かれたのである。

 その後、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の私戦を禁止した惣無事令に背いたとして、小田原征伐を招き、後北条氏は滅亡することとなる。これに伴い、世田谷城主・吉良氏朝は、隠居を余儀なくされた。また、当時、吉良・後北条両家に仕えていた江戸氏の末裔・江戸勝重も、秀吉の軍勢と戦ったが、小田原落城の後、喜多見に潜伏することとなった。一方、後北条氏に代わって関東に入国した徳川家康は戦役の後、関東各地に潜居していた旧家・名族の者たちを家臣に取り立て、その優遇策を図った。吉良氏朝の子・頼久は、天正19年(1591年)、領地を与えられ、江戸勝重も、文禄元年(1592年)に、旧領・喜多見村を安堵されている。家康の家臣となった頼久は吉良姓を名乗ることをやめ、蒔田と改姓したが、のち吉良姓に復した。また、江戸勝重も、家康の新しい居城の地・江戸をその姓とすることをはばかって喜多見と改姓した。その後、喜多見氏は代々江戸幕府の要職に就き、ついには二万石の大名となったが、元禄2年(1689年)、刃傷事件により御家断絶となっている。余談ながら、元禄14年、かの刃傷事件(いわゆる赤穂浪士の話)において仇役となった吉良上野介義央の家は西条吉良の流れで、武蔵吉良氏(東条吉良)とは別流である。

 家康が関東に入国すると、世田谷のほとんどの村がその直轄領となり、代官・松風助右衛門の支配下に置かれた。私領としては、喜多見氏・藤川氏らの旗本七人が、喜多見村・深沢村・経堂在家村など都合九か村に給地を与えられたに過ぎなかった。
 寛永年間(1624-1643年)に入ると、大幅な領主替えが行われ、幕府領十五か村(後、二十か村)が井伊家の江戸屋敷賄料として彦根藩領に組み込まれたのをはじめ、十四か村が旗本領に、一か村が増上寺領に変わった。その間、村々においては新田畑の開発が進み、飛躍的に生産力が増した。元禄8年(1695年)には、増大した生産高を把握するために検地が施行され、村高(公定生産高)が確定した。元禄期は近世村落の支配体制が完成した時期であり、この時確定した村高は明治維新まで変更されることはなかった。

 ここに、新田を開墾し用水を開発した集落があり、よって近世起源の「開発集落」と分類する。

 戦国時代以降では、世田谷においても、天分20年(1551年)吉良頼康が大平清九郎に世田谷郷等々力村・小山郷を給与、天分22年(1553年)吉良頼康が旋沢のうち船橋谷等を大平清九郎に給与、弘治3年(1557年)吉良頼康が大平清九郎に大蔵村を給与、天正18年(1590年)豊臣秀吉が世田谷郷十二か村に禁制を出す、寛永10年(1633年)世田谷領十五か村が彦根井伊領となる、慶安4年(1651年)宇奈根・横根・太子堂・馬引沢の四か村が井伊領となる、などの記録が多く確認できます。

 また、「新編武蔵風土記稿」などによる文献も多くなり、世田谷区の各地で新田開墾・土地開発がなされたことが容易に推定できます。
 代田村では、天正18年(1590年)頃から、若林村では、正保年間(1644年)から元禄年間(1688年)の頃から、松原村では、元禄年間(1688年)の頃から、それぞれ開墾されたとされ、下北沢村では、小田原城落城(世田谷城廃城)の天正18年(1590年)頃、吉良家臣・膳場将監により村の開発がなされ原野を開墾、一村落を成したとされています。

 この頃、用水も整備されつつあり、慶長16年(1611年)に六郷用水完成、慶安6年(1653年)に玉川上水開削、慶安11年(1658年)に北沢用水、同12年(1659年)に烏山用水、寛文9年(1669年)に品川用水、享保10年(1725年)に三田用水が、それぞれ出来たとされていることからも、新田開墾が盛んになり、土地の開発が進んだものと思われます。

 この年代までくると、世田谷の起源とみるよりも、世田谷そのものが存在したことが確認できており、起源とする年代ではないことに異論がないものと思われる。

2011年6月12日日曜日

世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その1

世田谷区の歴史(由来・起源)

『世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その1』

 世田谷区の歴史から、その生い立ちを見る事で世田谷の起源、ないし、その由来を考えてみます。まず、その土地の起源を何にみるかですが、やはり『 人 』であると思います。何かしら一定の組織だった集落に起源があるのではと思います。

 そもそも、「集落」とは、一定の土地に数戸以上の社会的まとまりが形成された、住民生活の基本的な地域単位(あるいは、人が集まって生活している所。人家が集まっている所。村落。地理学で、人間の居住の形態。家屋だけでなく耕地なども含む。また、村落のみならず広義には都市をも含む。)とされています。

 さらにいえば、単に「住民生活の基本的な地域単位」だけでなく、これを「対外的に表意・表示」した時期が、地名を含む当該土地の起源と解釈できるのではないでしょうか(学術的にどのように定義されているか否かは別として)。まさに、この点が問題の所在ともいえ議論のあるところだと思います。

 そこで、集落に着目して生い立ちの歴史をみていきます。まず、時系列的にその分類を、農耕集落、首長集落、律令集落、荘園集落、開発集落とします(正確な分類ではなく便宜上、このように整理しておきます)。はたして、どの集落に世田谷らしきものの起源や由来があったと考えられるのか勝手に想像してみます。

 なお、地名の起源とするには、文献や建物が存在したという実体説によるのか、そこに祠などがあり一定の組織が存在したはずだという実質説によるのかで見解が異なると思いますが、ここでは厳密に区別せずに推測で記述しますので学術的に正確ではない旨をお断りしておきます。

 以下、『ふるさと世田谷を語る』から抜粋された世田谷区のホームページ記載の「地名の由来」にある年表を参照しながら必要箇所を抜粋し、これに、世田谷区の歴史をあわせてみていきます。

※農耕集落期(弥生期 紀元前200年ないし紀元50-200年の頃)

 そもそも、世田谷区の遺跡は、時代的に約3万年前の石器製作跡から近世の大名陣屋に至るまで、ほぼ全時代を網羅している。特に水利に恵まれた多摩川沿いの国分寺崖線上は居住するのに適していたとみえ、多くの遺跡が確認されている。
 弥生期以前では、瀬田遺跡・下山遺跡・留多遺跡の石器製作跡(先土器)、瀬田遺跡の貝塚・諏訪山・桜木遺跡の集落(縄文)、代田円乗院遺跡(弥良後期)などが確認されている。
 集落を地域単位として考えてみた場合、その土地に土着していることが必要と思われるので、農耕による食料生産に基礎を置く社会であって、縄文期以前の狩猟集落とは区別するべきと思われる。

 ここに、原始的農耕を始めた集落があり、よって原初的起源の「農耕集落」と分類する。

 これ以降に支配者階級が存在し始め、「国(くに)」らしきものが形成される過程の中で争いがあり、防備が必要になり、環濠集落が生まれた(代表的なものが吉野ヶ里遺跡)。

 なお、(現在も東京都府中市宮町にある)大國魂神社は、ご祭神、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたとされ(この大神は素盞鳴尊すさのおのみことの御子神でむかしこの国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された)、その起源は、人皇第十二代景行天皇四十一年(111年)五月五日大神の託宣に依って造られたものです。
 出雲臣天穂日命いづものおみあめのほひのみことの後裔が初めて武蔵国造むさしのくにのみやつこに任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれています。

 なんと、はるか以前の紀元111年より、武蔵の国魂の神のご由緒が伝えられています。

※首長集落(古墳期 約300-600年の頃)

 古墳期の遺跡には、堂ケ谷戸遺跡の環濠集落(古墳前期)、野毛大塚古墳・喜多見稲荷塚古墳(古墳)などが確認されている。
 3世紀半から6世紀末までは、北は東北地方から南は九州地方まで前方後円墳造り続けられた時代とされる。倭国にヤマト王権が成立し王権が強化統一されていった時代で古墳末期に倭国から日本国へ国名を変更した。なお、古墳時代と大和時代はほぼ同時期であるが、古墳後期から末期は広義の飛鳥時代にもあたる。

 国(くに)が形成される過程の争いの中で、大集落が小集落を吸収し、やがて、首長を擁す国(くに)が誕生したものとされ、日本書紀にも地方を支配していた者として国造(くにのみやつこ)なる地方官が登場する。

 ここに、古墳を造るだけの資源(人や技術)がある(もしくは、首長を擁する氏族・豪族といった)集落があり、よって組織的起源の「首長集落」と分類する。

 なお、日本書紀には、534年の武蔵国造の乱として、武蔵国造の座を笠原直使主と同族の小杵が争い、小杵は上毛野国(現群馬県)の小熊に助けを求めますが、朝廷の力を借りた笠原直使主が国造の地位を守り、朝廷に屯倉(朝廷の直轄地として、横渟・橘花・多氷・倉樔の四ヶ所)を献上した旨が記されています(これにより、使主は大和朝廷から武蔵国造であることを認知され、以後、武蔵北部(埼玉古墳群)の力が強くなり、武蔵南部(荏原台古墳群)の力が弱くなったとする説もある)。

 この年代において、「武蔵」という表記がみられるようになったようだ。

※律令集落1(645年大化の改新・701年大宝律令)

 大化の改新により、元号を定め、これまであった国(くに)、郡(こおり)、県(あがた)、県(こおり)などを整理し、令制国とそれに付随する郡に整備し直されました(国郡制度)。
 戸籍と計帳を作成し、公地を公民に貸し与える(班田収授の法) 、公民に税や労役を負担させる制度の改革(租・庸・調)があったとされています。
 なお、「郡」(こおり)と言う用語が用いられるのは、大宝律令制定以降、それ以前は「評」(こおり)を使っていた文書(木簡類)が見つかっていることもあり、以後の一連の改革をもって広義の改革ととらえる説が最近では根強いようです。

 ここに、律令制下の集落があり、よって国だけでなく郡単位起源の「律令集落1」と分類する。

 なお、7世紀後半と推定される「无射志国荏原評」の文字が判別される瓦が、文化財発掘調査で発見されています。「むざしのくにのえばらこおり」と読むことができ、旧武蔵国南東部の地名で律令制下の荏原郡にあたるとされています(「評」は、7世紀半ば頃から施行された国の下位に位置する地方行政組織名で、大宝元年(701年)に施行された大宝令以前の遺跡から出土する木簡等に見られ、大宝令によって「郡」に改められる以前の表記。よって、両者とも「こおり」と読む。)。

 この頃(701年以前に)、武蔵だけでなく、すでに「荏原」とされる表記が確認されているのには驚きます。

※律令集落2(703年武蔵国府以降 奈良時代から平安時代)

 律令制下の武蔵国府ができたのは、大化の改新(645年)以後、律令政治がほぼ完成した大宝律令(701年)が公布された頃とされています。
 この律令制の地方政治の枠組みとしては、日本全国が68カ国に分けられ、国の下に郡、郡の下に里と、行政組織を三区別され、国へは中央の朝廷から国司を派遣し、郡にはその地方の豪族を郡司として任命し、里には里長をおいたようです。

 武蔵国は、4等級の最上位である大国とされ、所属する郡は21郡あったといわれています(荏原郡を含む)。その国府(国衙・国庁)が、大国魂神社参集殿の改築工事にともなう発掘にて、奈良後半以降のものと考えられる南北棟の掘建柱建物址五棟が見つかっています(現在の府中市)。また父・荏・榛・高・入・男の6郡の郡名がみられる文字瓦も検出されました。総勢500人ぐらいの人々が国司の下で働いていたと考えられ以後、荘園の時代まで続いたものとされています(開墾した土地が私有化されて荘園となり、公地公民制が崩壊し、土地を守るために武士が登場する)。

 また、大國魂神社境外末社に武蔵国府八幡宮があり、聖武天皇(724-749年)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられています。

 さらに、この頃以後には国分寺も建立され、旧武蔵国分寺の創建は、8世紀半ばの750年代末から760年代初と推測されています(敷地は東西8町、南北5町半と推測され、諸国の国分寺のなかでも相当に大きい部類に属する(東大寺が最大で東西南北とも8町)。

 ここに、現代につながる集落の基礎があり、よって国・郡・里という体制的起源の「律令集落2」と分類する。

 ただし、郡司・里長が何処にあったのかは定かでないため、律令集落1・2と区別する積極的な意味はあまりない(ただし、郡レベルなのか、その下位層である郷レベルなのかに年代とあわせて相違があるものとして区別した)。

 なお、大國魂神社は、大國魂大神を景行天皇が大神の託宣に依って武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたとされ(111年)、その後、孝徳天皇(645-654年)の御代に至り、大化の改新のころ、武蔵の国府をこの処に置くようになり、ここを国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられました。
 また、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である(後に本殿の両側に国内著名の神、六所すなわち小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を奉祀して六所宮とも称せられるようになった)。とされており、平安時代になると、大国魂神社は武蔵総社として、武蔵国で筆頭の神社となりました。

 このように、国司は中央から派遣され、絶大な権限を持ってすべてを司ったとされますが、その国司(武蔵守)は、703年引田祖父、715年大神狛麻呂、806年藤原内麻呂、938年武蔵権守興世王・武蔵介源経基(途中と以後を省略)などの記録があるものの、これ以降、武士が登場する荘園時代には律令体制には破綻がみられたとされています(国衙の存続期間は、出土土器等から8世紀前半から10世紀後半までとみられる)。

 なお、律令制確立に伴い「五畿七道」が設置されたが、畿内以外の国は「道」に属し、同時にそれらの国の国府を結ぶ官道が建設されました。当初、武蔵国は内陸国が属する東山道に属しましたが、相模国に東接する海沿いの国であるため非効率なルート(上野国から武蔵国を経て下野国に移動する行程は来た道を引き返すことになるので)となり、宝亀2年(771年)、東海道に転属となっています。その旨、続日本紀に記録されており、これ以降、国府(現在の府中市)までの「道(どう)」のルートが変更されたため荏原郡の集落形成にも影響があったものと思われます(より活発になったと推定される)。

 また、武蔵国府は、『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「多麻郡に在り」との記載があり、この平安時代中期に作られた辞書は、承平年間(931-938年)、勤子内親王の求めに応じて源順が編纂したとされています。
 この和名抄に、荏原郡、覚志郷、「勢多郷」の地名があり、この勢多のうちの谷地であったというのと、伊勢神宮の寺社領があり、伊勢田から伊がなくなり勢田になった、あるいは勢多のうちの谷地、「勢多の谷」というのが「せたかい」、「世田ヶ谷」の語源とされる説があります。

 ようやく、「世田谷」らしき起源が確認できる年代となってきたようです。ただし、この「勢多郷」は荏原郡ではなく多摩郡にあるとの記述のようで、現在の世田谷区・世田谷の起源とは異なるようにも思われます。

 また、このずっと後の文献ではありますが、新編武蔵風土記稿には、荏原郡世田谷領に世田谷村(現在の世田谷)、瀬田村、太子堂村、若林村、代田村、下北沢村ほかの記述とともに、多磨郡にも世田ヶ谷領があり、ここには、上(下)飛田給村、給田村、烏山村、八幡山村、入間村、喜多見村、大蔵村ほかの記述がみられます。おそらく、さきの「勢多郷」は後者の世田ヶ谷領あたりを指すものと思われます。いずれにしても、現在の世田谷区であるには変わりがないのですが、それぞれ別個の起源があるのではと想像することもできます。

 以後は、『世田谷区の歴史 その生い立ちから起源を想う その2』に続く。

2011年6月5日日曜日

世田谷の歴史など、昔のローカル情報を閲覧できるサイト・ブログ

世田谷区・下北沢という地名の由来をたどってみると

 下北沢という地名の変遷を調べていくと意外なことに気がつきました。それは、下北沢よりも、むしろ、代田若林(あるいは世田谷・松原)といった地名に関する古い情報のほうが比較的に多く散見されることです。ずっと、昔の話ですが、代田・若林ってかなりメジャーな土地だったようです。実際に、200年前の古地図のいくつかを見ても容易に見つけることが可能な地名です(代沢や梅ヶ丘という町名は、ほんの五十年前の地図でさえ確認できない地名です)。

 では、どれだけ古い情報が古文書などの書物で確認できるのでしょう。いくつか、ヒントになりそうな記述を見つけましたので備忘録としてリンクを紹介しておきます。

花見堂地名 1 東京都世田谷区代田
 新編武蔵風土記稿にて、世田谷領に代田村が出てくる。「当村の開墾は、むかし天正18年(1591年)世田ヶ谷の吉良家没落の後、かの家人流浪の身となり、この地に止まり、おのが力にまかせて開墾せしなり」と伝えられるとしている。また、「寛永初年(1624年)まで、ただ7人の農家と寺院一所のみ」としている。
 代田村の小名として花見堂のことを説明していますが、1591年という四百年も前に代田に関する地名が確認されているようです。そういや、代田八幡神社が今年420年例大祭ですが、この1591年ということにも関係がありそうです。
 ただ、ここでの寺院一所のみというのは、円乗院だと思われます(当時は円乗院も代田八幡も同じ敷地というか一筆・一体の土地であったと言われていますが)。

せたかいの由来
 世田谷の地名は、六百年以上前にさかのぼる永和2年(1376年)、吉良治家が鎌倉鶴岡八幡宮に上弦巻半分の地を寄進した古文書(吉良治家寄進状)に出てくる(表記についてはこのほか、「世田ケ谷」、「せたかい」、「せたがや」なども、その後の史料に見受けらる)。
 発音表記の最古と思われるものは、永享11年(1439年)大野七郎息女ひろ.セタカエの太夫僧都の門弟引担那等5ヶ所を10ヵ年の期限で熊野郡那智宿坊竜寿院に売却すとあり,「セタカエ」が見られます。又天文2年(1533年)3月31日付の熊野那智大社文書で、大社を詣でた4名のうちの1人の記載に、「せたかい住 喜村彦五郎」として、「せたかい」が見られます。
 また天文22年(1553年)4月の熊野那智山宿坊証文の中に、「武州わかハやし いしと新左衛門」とあり、「わかハやし」については「世田谷郷若林」に推定されています。
 若林については、1553年という四百五十年も前に若林に関する地名が確認されているようです。古くは若林が世田谷の中心的な町だったのかもしれません。元々、区役所が若林小学校付近にあったことも何か関係しているのでしょうか。

 また、代田本村と若林本村は地理的にもごく近く、この付近が一体として何か機能していたんだろうことが推測されます。

 なお、他の地名についても簡潔にまとめたものがありますので紹介しておきます。

世田谷区の町名の由来
 世田谷区の町名の多くが簡潔に記されていますので参考になります。

世田谷区の地名変遷と住居表示

世田谷区の地名について

 地名の変遷は、江戸末期から明治にかけて、明治から大正と昭和初期にかけてと、変遷がみられますが、昭和初期から中期はあまり変化がないように思われます。やはり、現在の地名と、その前の地名のターニングポイントは住居表示制度にあるようです。

 世田谷区では、昭和39年から昭和46年にかけて実施されていく中で現在の地名や丁目になっていったものと思われます。意外にも、現在の何町目という区分は近時のもので、昭和初期(昭和8年・1933年頃)から中期(昭和30年・1955年)にかけての地図を見ても町名と何丁目という区分に相違がみられません。

 昭和31年頃の地図は、「昭和毎日(東京23区地図 昭和31年発行)」にて容易に確認できますが、昭和初期とほぼ同様であり、現在の世田谷区にある梅ヶ丘や代沢という地名は確認できません。

 現在の町名・丁目区分となるのは、その後の住居表示制が採られる昭和39年頃になります。世田谷区の場合、下代田町と北沢町の一部が代沢に統合されますが、むしろ、世田谷町といった広域な町を分割・独立させるケースの方が多かったようです。この時に、世田谷町の大部分が、梅丘・豪徳寺・桜・桜丘・宮坂に独立されたようです。また、代田一丁目・二丁目が1丁目から6丁目に細分化されたように整理された町も少なくないと思われます。
 これらについては、「23区住居表示の実施状況(目黒区・大田区・世田谷区)」にて簡潔にまとめられています。

 そして、昭和46年以降は変遷がなく現在とほぼ同様と思われるため、上記の昭和31年頃の地図と、現在の地図を比較すれば近時の地名変遷は比較的に容易に確認できるものと思われます。

2011年6月3日金曜日

世田谷区の地名変遷の歴史

世田谷区の地名変遷について

 世田谷区と下北沢に関する古い地図をみると、時代毎に地名に変遷がみられます。とくに、明治から大正、そして昭和初期にかけて細かく違いがあるようです。



 これに関しては、「近代世田谷の地名変更の歴史概要」、「世田谷区の誕生と、地名の由来」にて簡潔にまとめられていますので参考になります。
 ここではザックリと理解するために更に簡単にまとめてみます(おおまかに整理して全体像を把握してみますので細かい部分には間違いがあるかもしれません)。

江戸時代の地名
 武蔵国・荏原郡・下北澤村

 江戸時代末期、世田谷には42村が存在したようです。

明治4年(廃藩置県)
 東京府・荏原郡・下北沢村

 1871年の廃藩置県により現在の世田谷区のうち、東部の村は東京府荏原郡(下北沢村を含む)に、西部の村は神奈川県北多摩郡に属した(その後、明治6年には、東京府・第七大区・第六小区・下北沢村とされた時期もあるようです)。

明治22年(東京府管轄改正)
 東京府・荏原郡・世田谷村・大字下北沢

 1889年の東京府管轄改正の市町村制施行に伴い、荏原郡の村は世田ヶ谷村・駒沢村・松沢村・玉川村に、北多摩郡の村は砧村・千歳村に統合された。1893年には 三多摩(北多摩郡砧村・千歳村を含む)が神奈川県より東京府に編入された。
 これにより複数の村を合併したが、以前の村名はおおむね大字として残り、世田谷村は8つの大字を含むことになった(世田ヶ谷、下北沢、代田、経堂在家、若林、太子堂、三宿、池尻)。

大正12年(一部郡制を廃止・町に昇格)
 東京府・荏原郡・世田谷町・(大字)下北沢

 1923年に村から町へ名称が変更した(いまだ、大字など下位区分があったと思われる)。

昭和7年(東京市新区制 大東京35区)
 東京市・世田谷区・世田谷町・北沢何町目

 1932年の東京市区域拡張(35区制)により世田谷も東京市に所属し、世田谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村で「世田谷区」が誕生(郡制もなくなる)。さらに、1936年(昭和11)には千歳・砧村の2村が世田谷区に編入され、現在の世田谷区の区域が成立した。
 この頃に、下位区分が大字でなくなり、何丁目をつけるようになったと思われる(これ以降、下北沢という地名が正式な地名でなくなったのではないか)。

昭和18年(東京都制下)
 東京都・世田谷区・(世田谷町)・北沢何町目

 1943年(7月)に東京都制施行。東京府と東京市を廃止し、東京府の存在していた地域に東京都を設置した(現在の東京都は、この東京都制(戦時法制)ではなく、地方自治法に基づいている)。

昭和22年(東京都23区制)
 東京都・世田谷区・北沢何町目

 1947年(3月)に、従来35区を整理し22区としたが、世田谷区は基本的に変化がなかった。
 同年(8月)には板橋区の西部を分けて練馬区とし、ここに現在と同様の23区が成立した。この分割によって世田谷区は当時東京最大の区になった(現在、埋め立ての進む大田区に抜かれて2位となっている)。

昭和42年頃(住居表示制)
 現在の住居表示(住所)と基本的な部分は変らなくなる(従前よりの地名に変更が多い)。

 1962年頃、世田谷区の地名は住居表示の実施にともなって大幅に変更されていきます(昭和37年に公布・施行された「住居表示に関する法律」及び「街区方式による住居表示の実施基準」に基づいて、世田谷区でも条例が制定され、昭和39年から順次実施し、昭和46年には全ての地域で実施されました)。

 住所のつけ方は、「街区方式による住居表示の実施基準」が昭和38年に定められ、この基準に基づき、世田谷区では「世田谷区住居表示実施要綱」を昭和38年10月に定め、これを実施しているようです。

 
 ちなみに、荏原郡・世田谷町(村)の変遷については、「荏原郡世田谷町の変遷(市町村合併など)」、「荏原郡世田谷村の変遷(市町村合併など)」にも市町村合併についてのまとめがあります。

2011年5月31日火曜日

世田谷区の古道を地図上で再現したマップ

世田谷区の古地図・古道

 世田谷区と下北沢の古地図について色々と調べておりましたが、狭い地域を深く考察するといったローカル情報は個人サイトのほうが有用というか必要な情報を得やすいことが分かります。むろん、公文書館などの情報は時代(年代)などが判明する解説付なので大変便利なのですが、よりディープにともいうべきか、その地域限定の内容となるとオーソリティサイトでは広く浅くといった側面もあり必要な情報が得難いのも事実です。

 そこで、探してみたのですがありました。現在の地図上に古道を描画してくれています。地図上から、おおまかに把握できるのが便利です。また、尺度を替えても地図上に古道は描かれたままですので、マクロでもミクロでも確認できます。

 「世田谷区近辺の古道地図」よりページにアクセスできます。地図上に描かれている古道の線にマウスをあてると解説文が表示されます。そのほかの操作はグーグルマップと同様です。

 また、「世田谷(近辺)を通る古鎌倉街道」では世田谷区近辺の鎌倉街道(鎌倉通り)を別ページに独立しています。

 なお、「古道ブログ」では世田谷に限らず古道ネタの記事がまとめられています。

2011年5月30日月曜日

下北沢の歴史など、昔のローカル情報を閲覧できるサイト・ブログ

下北沢 情報

 昔の地域に関する古い情報を取り上げたサイトなど

 昔の下北沢付近や世田谷区の情報など検索してみると個人的に調査をし、この内容を公開しているサイトやブログがあることが判りました。古地図をたよりに情報収集した際に有用だと感じたサイト・ブログを紹介します。

web東京荏原都市物語資料館
 世田谷区の下北沢や代田に関する史実など興味深い内容が書かれています。公開してから10年以上は経つようで記事数と情報量が凄いです。カテゴリー分けなど分類が細かにされていると、より閲覧し易いんだろうと思いますが、なになにといった感じで閲覧すると、すぐに時間が経過してしまいます。リンクからは記事などの情報を地図上で確認できるようになっているので、とても便利です。

Half Mile Project 調査サブノート:旧下北沢村内の祠・野仏
 世田谷区・下北沢と代田に関する古いローカル情報について手がかりを得ることが出来ます。旧下北澤村・代田村の寺院などについて、まとめられています。調査サブノートは他にも、「調査サブノート:駒場道」、「調査サブノート:ダイダラボッチ考」など興味深い内容がまとめられています。

シモキタのtokyoboy 茶沢通りの謎
 昔の下北沢でけでなく、現在の下北沢の様子などが記述されています。その中でも、目黒筋御場図シリーズは古絵図をもとに現在の場所などを検証していて興味深い内容になっています。また、三田用水についてのまとめも充実しています。

古地図(目黒筋御場絵図)にみる世田谷区・下北沢
 目黒筋御場絵図を基に、世田谷区の下北沢エリアについて、現在の地図にあるランドマークなどを古絵図上に描画して考察しています。

2011年5月28日土曜日

古地図が閲覧できるデジタルアーカイブのリンクまとめ

古地図が閲覧できるサイトについて

 デジタルアーカイブなどで情報公開しているサイトをまとめてみました。他にも沢山あるんですが、拡大して詳細を表示できるなど便利な機能があり、かつ、地図もある程度の豊富さで閲覧可なとこをピックアップしておきます(古地図デジタル閲覧サイトのリンク集)。

徳島大学付属図書館 貴重資料高精彩 デジタルアーカイブ http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/
 いわゆる伊能図を閲覧できるほか、1770年から1860年までと古い年代の日本地図が充実しています。

国立国会図書館 デジタル化資料 古典籍資料 http://dl.ndl.go.jp/#classic
 なんと、740年の巻物など貴重な資料も閲覧できます。古地図絵図では1600年代ものが数点、1800年代ものなら相当数点あり、とくに、各地毎に構成されている大日本沿海輿地全図が充実しています。

東京大学附属図書館所蔵資料展・地図に見る江戸八百八町 図録 http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai96/mokuji.html
 江戸初期の絵図を豊富に閲覧できます。解説が付され便利です。ただ、拡大表示できないのが残念です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ 絵図(江戸時代) http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0200000000/default
 江戸時代や明治以降の絵図を豊富に閲覧できます。拡大表示など詳細も見る機能もあり大変便利です。なかでも、目黒筋御場絵図は東京近郊が描かれている緻密な古地図で世田谷区・品川区などのエリアを詳細に確認できます(これ必見です)。

明治大学図書館 蘆田文庫古地図展電子展示目次 http://www.lib.meiji.ac.jp/ashida/display/exhibit-2001/contents.html
 蘆田文庫古地図コレクションの古地図(伊能以前の古地図もあり)が画像で紹介されています。詳細画像も閲覧できますがスクロールできないのが残念です。

国土地理院の古地図コレクション http://www.gsi.go.jp/MAP/KOTIZU/kotizu-0.html
 伊能大図彩色図を211点も閲覧できるほか、かなりの数の画像が掲載されています。

国土地理院ホームページ 古地図資料閲覧サービス http://kochizu.gsi.go.jp/HistoricalMap/
 カテゴリー別に検索でき便利です。解説文が付され、一部は拡大など詳細画像も見ることが出来ます。全てを閲覧するのが困難なほどの掲載点数です(こちらも検索し易いのでお薦めです)。

筑波大学附属図書館 デジタルアーカイブ 電子化資料(貴重書コレクション等) https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/portal/rare.php
 お薦めです。充実した内容、豊富な掲載点数、詳細画像や拡大してのスクロールなど操作性も大変良いです。色々と検索するのにストレスを感じません。

筑波大学附属図書館 所蔵の古地図362冊(367画像)高精細画像提供ページ https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/tree/kochizu.html
 古地図閲覧のトップページです。古地図362冊(367画像)の高精細画像を閲覧できます。拡大・縮小・回転・移動の操作により、全体から細部にいたる画像を確認できます(素晴らしいです)。カテゴリー別・タイトル五十音順にも検索できます(お薦めです)。

埼玉県立図書館 デジタルライブラリー https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/index.html
 武蔵国の絵図が充実していますので、東京近郊の地図も探すことが出来ます。

国立歴史民俗博物館 Webギャラリー http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/webgallery.html
 洛中洛外図屏風歴博甲本(重要文化財)がメインのコンテンツです。

文化庁 文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/Index.do
 文字どおり文化遺産の画像を見ることが出来ます。解説文もあります。

古地図データベース  東京国立博物館 情報アーカイブ http://dbs.tnm.jp/infolib/meta/CsvDefault.exe?DEF_XSL=default&GRP_ID=G0000002&DB_ID=G0000002070607HM&IS_TYPE=csv&IS_STYLE=default
 江戸時代の地図類が多数保管され閲覧できるようなんですが、重たいというかサクサクと動きませんので残念です。

歴史的農業環境閲覧システム http://habs.dc.affrc.go.jp/
 明治初期から中期にかけて関東地方を対象に作成された「迅速測図」を閲覧できます。現在の道路、河川、土地利用図も比較できます。古い地図の上に現在の地名を表示できるので大変便利です。

東京都立図書館 デジタルライブラリー http://www.library.metro.tokyo.jp/1v/1v009.html
 貴重資料画像データベースからは、江戸城などの絵図を豊富に閲覧できます。また、浮世絵の画像も充実しています。

 以上、ほかにも沢山あるとは思いますが、古地図を検索する際に利用してみたサイトの備忘録として記述しておきます。

2011年5月26日木曜日

世田谷区・地図(昭和24年頃)を航空写真と比較すると

世田谷区 地図情報

 下北沢エリアを中心とした世田谷区の古い地図を探していますが、年代が特定されている地図となると探すのが難しいですね。古地図と呼ぶには比較的に新しい昭和初中期のものとなってきます。江戸から明治にかけてとか、明治・大正の頃とか、もっと地図が作成されていても不思議じゃないんですが。地図そのものは最新版を必要とするわけで古い情報の地図は、その当時においては不要なものというか、新しいものに差し替えられると処分されるべきものではあります。

 先日、昭和30年代と思われる地図をみましたが、この地図の年代を確認する際に、昭和24年の新23区制の世田谷区の地図を確認できましたので、年代が把握された地図として紹介しておきます。



 上記の地図が、新23区政当時の世田谷区の地図(昭和24年)ということです。下北沢エリアに着目してみると、現在の環七よりも東側の鎌倉街道にあたる道が、随分と太く記されています。地図を見る限りだと、幹線道路のような幅員があるかのように見受けられます。なんだが不自然な印象です。現在の鎌倉街道は地図に見るような幅員は勿論ないわけですから。また、当時もこんな幅員はなかったものと推測されます。
 したがって、この地図は都市計画とかの計画道路予想を反映したものだったのではないかなと思っています。地図が作成された年代が明らかになっているものの、その地図上に記載された事項は当時の様子を必ずしも反映しているわけでなく、将来の予想図を記載していたものと解釈できます。
 地図というのは、その作成された目的によって内容というか情報が変るものであるといえます。当時の様子をリアルに反映しているものか否かは作成された地図の目的から吟味する必要もあるわけです。年代が特定されても、その地図の作成目的などの意図がハッキリしていないと読み取る情報の内容をミスリードする可能性があるということです。
 よって、昭和24年作成の地図でも、その当時の様子を反映した地図と断定することはできないというわけです。
 というわけで、この地図をどうように検証するかですが、航空写真が公開されていますので、これと比較してみましょう。





 画像は下北沢エリアの地理関係を容易にイメージできるように、小田急線・井の頭線・環状七号線に区切られた三角形のエリアを拡大しています。ちょうど、三角形の頂点付近が井の頭線・新代田駅と、小田急線・世田谷代田駅と、下北沢駅になっています。また、画像に上書きされている文字情報は現在あるものです(その当時には勿論無いものが含まれています)。

 1枚目の画像は、昭和22年頃の様子です。新代田駅と世田谷代田駅の間が弧を描くように線路で結ばれていた跡が見てとれます。当時の日本は、日本国憲法施行、吉田内閣総辞職、片山内閣成立といった時代でした。写真上の濃淡は建物の有無によるものでしょうか。昭和20年の東京大空襲後から2年経過しても、その傷跡があり復興していない様子が見受けられます。
 下北沢駅の南北にある鎌倉通りも確認できますが後に環七となる道の幅員のほうがハッキリと写っています。昭和24年に作成された地図は、この2年後ではありますが、戦後復興の際に幅員のある道路を作ろうという計画があったのかもしれません。

 2枚目の画像は、昭和38年頃の様子です(30年代はじめの写真を確認したかったところですが)。1枚目の画像からは16年経過し、戦時下の引込線路があった様子はこの写真を一目して判別できるようなことがなく、建物なども復興しているのが判ります。当時の日本は、ニセ札防止のため新千円札(伊藤博文の肖像)が発行された時代で、力道山が刺された年でもあったようです(ちなみに、ケネディ大統領が暗殺された年でもあります)。写真上では環七の様子がハッキリとみてとれます。ちょうど、環七が一部開通した頃のようですが、この写真を見る限りでは、わずかながら建物が点在しているように見受けられます。
 下北沢駅付近の様子ですが、南北にある鎌倉通りも確認できます。昭和20年頃よりも少しは幅員が太くなったのではと思われる程度にきちんと確認できます。ただ、昭和24年に作成された地図にあるような道は、この38年の航空写真を見ても確認することは出来ません。

 以上により、推測すると、道路は当初、下北沢駅のあたりを通過する予定だったのではということです。しかし、現実(実際)には、下北沢駅の西側にずれて現在の環七の位置に落ち着いたんだと思います。
 というのも、戦災復興院が昭和20年(1945年)に創設され、都市計画土地区画整理がなされていきますが、昭和24年(1949年)のいわゆるドッジラインによる経済安定政策のあおりで計画は再検討というか大幅な縮小が図られてしまいます。この影響で計画していた道路と実際に出来た道路に齟齬が生じたとか、計画自体が頓挫し、東京オリンピック1964年(昭和39年)の際に急遽、当初予定とは異なる位置に道路が作られたとかの事情があるのではと思っています。
 このあたり、きちんとした文献で確認することが出来なかったのですが、当初の復興計画だと道路幅員なども太くかなり理想的なものだったようです。ただ、実際の復興には予算や費用もあり、理想的な道路を作るよりも妥協して細くても早期に道路を整備すべきといった現実的要請があったのだと思います。そういう戦災復興期に作成された地図なので、その当時に実際にあるものと、計画上これから予定されるものとが混在していたのかもしれません。